自宅では周りと同じなんてつまらぬと教えられ子供のころ友達はこうしていると言えばうちとよそは違うと怒られた。英才教育の上に個性を伸ばそうと試みられたから。理屈的にはくだらないことではありながらも友達と同じものを持つことも同じテレビを見ることも同じゲームで遊ぶことも許されなかった。教育熱心だった親を責める気はない。学校から帰ると毎日1-2学年上の勉強を数時間やらされた。流行りの曲なども知っているわけもない。みんな同じという日本社会でそれでは私は友達と同じ話題も感覚もあるわけがなくていじめられた。時にはひどい集団リンチ。出る杭は打たれるのが日本。長子であるゆえに上を見て学ぶことも出来なかった。その点年の離れた私を見ていた妹はうまくやった。徹底的に私とは逆でみんなと同じがいいと言い通した。自宅では一人遊びが上手だと褒められていたから人とかかわる大事さを学ぶこともなく大方の時間を一人で過ごした。本を読むか絵を描くか。これが一番影を差したのは人間関係のノウハウを子供時代に身に着けなかったこと。冗談は下品だと言われていたから当然友達の冗談を真に受けてよく泣いた。そんな面倒な子にかかわりたい友達はいない。個性を育てようとされたのはわかる。でもまるでどうしていいかわからずの地獄。5年生になるころには身動きすることが難しくなってきて手が震えて鉛筆も持てなくなってきた。いつも胃が痛かった。でも胃が痛いのは人間にとっては当たり前の現象だと思っていた。母はIQ160以上ある。それ以下の人の気持ちがまるで理解できない。教科書を一回読んだら300%理解することを求められた。どうしてこんなことがわからないのかといつも怒られた。100点以下をテストで取ることは許されなかった。98点なんてとった時にはランドセルを開ける気力もなかった。怒られる時に何で怒られるかを理解したことはない。私が私であるから怒られて当然で、生まれつき悪い子だから怒られるのは当然だって思っていたからいつも責められれば罪を認めた。冤罪とかは関係ない。この人が言うなら私が悪いに違いないと思っていたから。でも今考えると冤罪も多くて当然知らないことを説明することはできない。納得してもらえる説明のできない自分を責めた。もう二度としないと言えと言われてもどうしていいかわからなかった。そして困った顔をして黙っていたらまた怒られた。なんだその目つきはと言われた。困りに困って眉間にしわが寄ってしまうのと斜視を悪い目つきと勘違いされていたらしい。私は反抗的ではなかった。本当に困っていた。高校卒業するまではいつも死にたいと思っていた。存在していることが罪深いと思っていた。説明することも出来なかったから数人のカウンセラーのところに行っても状況が改善することはなかった。彼らを信頼したこともないけれど。私が震えるようになってから母はカウンセラーのところに行ったけどそのたびにまたあんたのせいで2万かかったと毎週責められた。妹は公立や国立に行ったけど私は私立に行った。一家の石潰しでゴクちゃんというあだ名で呼ばれた。これは本当に辛かった。今から今の判断力でやり直せるなら私の為にお金を使わないでといってお金のかかるとこはすべて避ける。ゴクちゃんと呼ばれるよりはよっぽどいい。カウンセラーのところに母が通うのも辛かった。帰ってくれば2万かかったと言って怒られたから。確かにカウンセラーなんて役に立った気はしない。私はさらに怒られただけだったから。

中高の時に怪しい宗教染みたことにはまった。それは私を更に結果的に壊すことになった。しゃべったら殺すと脅された状態で性奴隷な状態だった。鎖でつながれていたわけはないけれど怖くて逃げられなかった。だからオウムの人達がどういう状態にいたか想像できる。たまたま大きな団体に発展しなかっただけで質的には変わらない。神が殺せと言ったら殺さなければいけないとシバ神の名を挙げた。まさにポア。他人事ではない。内側の若い子たちがノイローゼになったりで団体として大きくならなかったからあんなふうにならなかっただけ。私の友達も暴力をされていたし。新興宗教の教祖的な人間は案外お天気屋だったりする。モラハラパワハラと同じ状況で満足されることはできない。ノイローゼになってしまった私は悪魔に憑かれていると言われるようになった。どうしていいかわからなかったし限界だった。ノイローゼ状態では搾取する人間にとってはもう邪魔な存在。喘息も年々ひどくなって咳が何か月も止まらなくなった。生涯仕えると誓ったものの無理になった。その教祖的存在も初めは精神的に不安定だった私の話を聞いてくれて優しかったのに。そこから離れて思っていたことは神に仕えている人を裏切った私は殺されるのが怖かった。冗談抜きにいつ刺客が送られてくるかとおびえていた。パラノイアではなく本当に私は危険な集団の中にいた。今考えるとあの時私は壊れて脱落して良かった。その後の数年は恐怖におびえた地獄でもあったけれど。